ペラペラな先輩の話を聞く気になれなかった理由
英語に限りませんが、話し合いや意見交換の場で、話している人の声が小さすぎて、もう、聞かなくてもいいや、と思ったことはありませんか?
鮮明な大学での記憶
わたしが鮮明に覚えているのは、大学の授業でのことでした。
1年アメリカに留学した人が、自分のクラスで自分のことについて話していました。毎回、3人か4人の学生が、英語で自分についてスピーチし、質問を受ける、という授業でした。
その先輩は非常に流暢な英語を早口で話し、本当に1年いただけで、そんなに話せるようになったんですか? とクラスメイトからまじめに質問されるくらいでした。
スピーチの間、実は、その時教室の反対側、彼から一番遠い側にいた、わたしと周りの学生たちは、あまり聞こえないね、とささやきあっていました。
それは、なんか聞こえないし、聞く気がなくなったのは自分だけではないよね、という暗黙の確認でした。
容赦ないスピードで流暢な英語を話す、人もうらやむ英会話力。
それをもってしても、聞き手は残酷に、もう聞かなくていいや、という宣告を下したのです。
数十年たってもその時の光景だけはありありと思い出せます。
その先輩にすごく感謝しています。とても大事なことを学ばせてくれたから。
早口でも、発音がよくても、聞こえなければ意味がないんだ!
これも大学でのことでした。ある時、教室で英語劇の発表がありました。ひとつのチームの上演のあと、アメリカ人の先生は、
わたしはネイティブスピーカーだからわかるけれど、もう少し声を出さないと皆さんには聞きとれないんじゃない?
と話していました。教えている先生は脚本も知っていますしね。
どういう聴衆に聞いてもらうか?
そうなのです。留学から帰ってきた先輩も、向こうでの日常会話だったら、その調子で問題なかったのでしょう。学生ですから、話すのは学内の、アメリカ人の友達ばかりだったでしょうし。
でも、ここは日本。聞き手も日本人。初めて聞く話。
いくら聞き手に英語力があったとしてもそこはゆるぎない事実です。
そこを考慮して、英語のスピード、声の大きさ、内容もふくめた、つまり話し方をアジャストしていく必要があります。
だって、相手に聞いてほしい、わかってほしいわけですから!
これが日本語だったら、と考えてみてください。
先輩は、学生で、英語のコミュニケーションの練習をする授業という場で、自己紹介をしました。だから、わたしたちも敢えて一字一句聞く必要もなかったのです。よくないことだとは思いますが。
英語劇も、演じる側の授業の一環で、同級生たちが無料で見ただけです。
先輩には、もう少し声を大きくしてください、と誰か一度くらいは言ったかもしれません。それでも聞こえるようにはなりませんでした。
それでも、勉強の場だから、まだ許されたし、わたしたちもそれ以上なにも求めなかった。
仕事の場だったら?
でも、これがビジネスの場だったらどうでしょう。それ以前に、日本語でのビジネスの場だったら?
お話になりませんよね。だって相手に聞こえないんですから。
自分の意見、主張、提案が相手に聞こえないなら、仕事になりません。
そんな時話しているのが、相手に聞こえないような声で、しかも英語だとしたら?
もうおわかりですね。
これほど空しいことはありません。
聞いてもらえなければ意味がない!
わたしの英会話ワークショップで、発音の前に発声のほうに取り組むのは、そうした経験をふまえてのことなのです。
どんなにうまく話そうが、内容が素晴らしかろうが、聞いてもらえなければ意味がない!
早口であることよりも、まず堂々と誰にでも聞こえる声で話すことが、特にアカデミズムやビジネスの場では重要になってきます。
自分の発言に対して信念をもっているか。
それが本気で伝えたいメッセージなのか。
そういったものがすべて声とそれを出す本人の在り方に表れているからです。
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